左官職人が鏝でもって民家や土蔵の壁に漆喰によって施された彫塑を鏝絵という。色を混ぜた色漆喰によるカラフルな鏝絵もある。絵柄は、説話や物語、身近な動物や空想上の獣などが取り上げられ、庶民の祈りや願いが込められている。
鏝絵という名称は比較的新しく、「伊豆長八」こと入江長八の漆喰彫刻をさして鏝絵といったのが始まりとされている。昔は漆喰細工、鏝細工、壁絵、泥絵などと呼ばれていた。
こうした漆喰装飾は、江戸時代の中後期からの防火対策として幕府が塗り壁や瓦の使用の制限をゆるめ、土蔵造りを奨励したことから左官工事の需要が増えていくとともに盛んになった。伝統的な左官技術は、明治に入り洋風建築を次々と建てることが出来るほど高いレベルにあり、洋風建築の装飾をこなしていくのにも大いに貢献し優れた漆喰装飾を残してきた。 島根県では、鏝絵の多くが石見に存在し、明治の初めから昭和30年代にかけて造られた作品が大半で優れた作品も数多く残っている。かつては、出稼ぎが日常的に行われていた貧しい地域で職人になることがなかば宿命であったとされる。そのため技術の上達に懸命であり高収入を得ることが残してきた家族の支えであった。
彼らが故郷に、「稼ぎ」と「腕」を持って帰り、寺社への奉納として見事な漆喰彫刻を、民家の壁には表情豊かな彫りものを刻んでいった。
今、遺されている漆喰彫刻の1点1点に、百年の時を越えて石州の左官一人一人の熱いメッセージが伝わってくる。
本業の壁塗りを終えてから、個性のある職人の何をして、そうした余技に走らせるのか。いい仕事させてもらった施主への感謝、あるいは地域への恩返しの表れでもあったろう。
幕末から明治にかけて生まれた職人たちが、激動の近代を駆け抜けていき、競い合うかのように生み出していった漆喰彫刻。そこには見えざる熱き想いと、気高い職人魂を感じる。それが石州の左官職人たちの技ではないだろうか。
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